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・上杉謙信、幼少の頃は「鬼若殿」と呼ばれる


上杉謙信、幼少の頃は「鬼若殿」と呼ばれる

上杉謙信は幼い頃より一般の幼児とは異なり、玩具もひたすら「武」に関連したものを好み、破魔弓や菖蒲刀の操り方も上手かったといわれています。

ちなみに破魔弓とは射ると魔障をふり払うと信じられていた弓のことで、菖蒲刀とは子供の端午の節句の際、健やかな成長と無病息災を願って行われた「菖蒲合戦」なる風習に使用する刀のことです。簡単に言えば、幼児用のおもちゃの弓と刀ですが、謙信はこういうものに非常に興味を示していたというわけです。

さらに、成長するにつれて短気で大胆かつ粗暴の振る舞いが多く、老臣が諫めても一向に聞き入れず、荒々しいことが好きで下人たちからは「鬼若殿」と呼ばれていました。

謙信の出で立ちについては『常山紀談』に次のように書かれています。

「背丈はそれほど高くなく、左の足に腫れ物があり、歩く時には足を引きずっているように見えた。甲冑に身を固めることは少なく、黒い木綿の胴服を着用し、鉄製の小さな車笠をかぶっていた。采(采配=軍団を指揮するため打ち振る道具)を取ることも少なく、青竹を三尺(約90cm)の長さに切り、杖のように持って士卒を下知した」

もちろん、これら「軍記物」に記された内容は頭から信用するわけにはいきませんが、謙信のこのような一面が伝えられてきたことは事実です。


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